2001


2001年は近年稀にみる酷い年だった。
新年こそは、来年こそは、と思い迎えた新世紀最初の年だったが
最低・最悪の年だった。
20世紀が”戦争の世紀”と呼ばれ、新しい世紀は”平和の世紀”になる筈が
人類は相変わらず愚か者で同じことを繰り返している。
そしてその度に内容は酷くなっている。

国民は相変わらずお上にベッタリの連中が多いが膿が表層から噴出してきた。
狂牛病”口蹄疫”
騒動などもその一つで、
その影響で最強の商売と言われた”アメリカの国民食堂”も売上が落ちた。

9/11にあの【米国同時多発テロ 】がおきアメリカ側からは一方的に
オサマ・ビンラディンが首謀者であるとの発表があったが
今だのその証拠は公開されていない。
【炭そ菌】騒動にしても本当のところはわかっていない。


映画の世界でも政府が”ハリウッド”に”戦争映画”をどんどん作れ!
とお墨付きを与えたことにより、”戦争モノ”や”テロモノ”等の
プロパガンダ映画がジャカスカ乱発される。

Behind Enemy Lines”などもその内の一つだ。


てめぇの中でもまだ煮詰まっていない状態で政治関係をあまりごちゃごちゃ書くと
誤解を招くのでここでは敢えて差し控える。

大局は別にして、てめぇの身の回りを振り返ってみる。

生まれ変われるなら”クラゲ”か”
ナマケモノ”が良いと思い色々と調べた。
ナマケモノ”を取り巻く環境もなかなか複雑な展開になっていることを知った。

写真家では
宮嶋茂樹 の著作にのめり込んだ。
単純な人間なので一時期は”それ以外はすべてクズである”というフレーズを
多用し関係者以外に多大な誤解を与えた。

 「木村伊兵衛写真賞」では女性写真家3名の同時受賞という展開であった。
この写真賞について具体的なことは知らなかったが
藤原新也の著作の帯にはこの章を昔受賞したことが書かれてあったので
記憶には残っている。
たまたまアサヒカメラの93年1月号に”3.3m2展”の関連記事が記載されていたのを
憶えている。(この雑誌は99年10月の引越しの時に捨てたので手元には無い)
当時”ピン”ときたのはやはり長島有里枝だった。
また受賞者特集ということでアサヒカメラの2001年?月号でこの長島有里枝
藤原新也と対談しているのも不思議な縁だと思った。
蜷川実花
(にながわ・みか)のセルフ・ヌードは目つきと口元が嫌いで好きになれなかった。
しかし年末にパラパラと某所にて写真集を瞬間立ち見している際に
気になったのが蜷川実花
(にながわ・みか)の”Pink Rose Suite”という写真集で
後にネットで手配をかけた。
不思議なことに長島有里枝の写真集では現在は金を出して手に入れようと思う
写真集は無い。金を出してもいいと思う写真集は”絶版”になっている。
長島から蜷川へのこの嗜好の転換が自分でも面白いと思う。
ヒロミックスは雑誌に載っているのを”パラ”っと見たらそれで終わりで
立ち見すらする気にならない。
徹底的に作り込んだ写真作品はどこか吐き気をもよおす。
これは個人個人の嗜好の問題なんでどれがいいとか悪いとか話ではない。

ある本を紹介されたが結局手に入らなかったのでまだ読んでいない。


転職関係では”初生ひな鑑別師”に転機を見出そうとしたが
年齢制限(いまだにある年齢差別・性差別)に見事に引っ掛かってしまい
断念する。

 

 

(本頁つづく)

 



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